
vol.7 From Zen to Zen - 禅から然へ。
何に触れるか、どう暮らすか、健康でいるためにはなど、根本的な暮らし方が、自分の中で今までと変わりつつあります。もともと意識するようになったのは、ブランドを始める数年前の夏。骨董通りを歩いていたら、その奥に永平寺別院で月曜座禅会という当日参加型の座禅会を知り、参加しました。高校の時、禅宗系列の学校に通っていて、毎週授業の1コマに「仏教」の時間があったので、禅や座禅は比較的慣れ親しんだキーワード。高校での座禅は意外と好きな時間で、頭の中が落ち着いてスッキリする感覚がありました。大人になってからもやっぱり同じで、高校生の時より考えごとは増えている(はず)ですが、変わりなく、自分に平常心を与えてくれる。この月曜の座禅は、しばらく続きました。 座禅をする際に必ず言われるのが、“何も考えてはいけません”という注意。座禅は、体を「無」の状態で座り続ける只管打坐という修行の一つです。日頃の生活で、全く何も考えない状態はないので、いざ取り組んでみると、とても難しい。ついついあれこれ雑念が湧いてくると、勝手に体が動く。心と体は繋がっているとよく言われますが、どれだけ今の自分が、色んなことを抱えているか分かります。ただ、何回も繰り返し行っていると、考えないことにも慣れてきて、最終的に自分の存在を忘れてしまうような感覚に。そんなとき出てくる思いが、“結局、自分も、宇宙や自然の一部に過ぎないんだな”という気持ち。目の前のことに捉われて、つい自己中な考えになったりしますが、世の中という枠組みがあって、他の生き物や環境の中でバランスを取りながら、有限の中で有り難く生きていることを実感します。 普段自分が取り組んでいることも、生活していることも、動くこと、受けること全てに因果はある。自然の摂理がこれまで示しているように、パワーバランスの偏った仕組みは、どこかに負担がかかるもの。結果的に、仕組み自体が続かなくなってしまうんですよね。自然と人の関係性も、これまでの偏りを感じずにはいられません。だからと言って、全くお肉を食べないとか、レザーを着ないとか、自分は言いません。必要なものを、必要以上に搾取しないことが大切であり、なんでもやり過ぎないこと。きちんと、還元する方法を考えるべきだと思っています。バランスを崩せば、巡り巡って自分たちに返ってくる…気づいたら、禅の話から人と自然の話になっていました。梅雨の気だるさを、久々に座禅で整えてこようかと思います。 BODHI / Satoshi Mizutani The basic way of life, such as what to touch, how to live and how to stay healthy, is changing within me. I...